更新情報

お知らせ

2019年10月1日

拠点を東京の日本橋に移転いたしました。日本橋公会堂などで定期的に測定会や

研修会を開催していく予定ですので、ご興味のある方はご連絡ください。


2020年4月1日

青森大学ソフトウェア情報学部にて講師を務めることになりました。

今後青森大学や七戸駅周辺でのイベントも予定しております。


2020年9月23日

令和2年10月4日青森県青森市幸畑にある青森大学にて足裏体圧分布測定会を開催します。

高校生以上であればどなたでも参加可能ですので、興味のある方はご参加ください。

以下の参考資料をご参照ください。


2021年4月1日

慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科にて専任講師を務めることになりました。

http://lab.sdm.keio.ac.jp/niitsuma/



20200926_大学祭ポスター.pdf

体運動習性とは?

私達はそうと知らないでも今生きている。誰も、生きろと命令されたから生きている人はいない。裡に「生きたい」という要求がある。よく「要求」とはなにか?という質問があるが、それはなぜ今生きているのか?という質問に等しく、理屈で答えることはできない。

この要求の本質は変化であるが、過去の要求の達成の影響を受けた形で身体を形成し、記憶に依存した形で思考を形成する。これらは固定的であるため現在の要求との間に「ズレ」が生じる。

このズレによって今正に存在する要求を達成することが円滑に行われなくなると、身体に過度の偏りが生まれ硬直し否定的な傾向が強まる。

しかし、どんなに硬直状態に見える身心であってもかならず響く角度がある。甘いものを食べたらフッと心が軽くなったり、パァーッと怒鳴ったらスッキリしたり、山に登ると何事もなかったかのように心が動き出す。これは要求達成が行われないことによって溜まってしまったエネルギーの鬱散のために強制的に要求に目を向けさせられている状況と言える。


この角度は個人によって多様である。モーツァルトの音楽が心に響く人もいれば,バッハの音楽で奮い立つ人もいる。このような個性は無意識下に行われているが、意識的に教育されることはない。今日、情報や栄養過多、すべてが過剰に存在することも一因となり身体の鈍りが加速しており、動物であれば当然のようにわかっていたはずの、「要求」がわからない身体が増加している。このことが今日存在する多くの問題の元凶であると考える。


それを解決するための方便として本来頼るべきなのは、自分自身の要求に目を向けること以外にはないのだ。コーヒーを飲んで自分が美味しいと思ったことを誰かに証明してもらうことなどできはしない。しかし、現代人はリファレンスを求める。それは自分自身の要求に鈍感になっていることの裏返しだ。リファレンスを求めるから科学信仰が生まれる。科学という宗教が優勢になり、ゆきすぎた二元論が窮屈な社会をますます自然な「要求」達成の難い環境とする。

人間の本当のあり方を身体性に着目し、なるたけ文化的装飾を排して体系化することで、少しでも固定的視点を緩め、全ての存在が調和する助けになることを望む。


体運動習性研究所代表 (令和2年12月8日改訂)


*補足

論理的思考は大変重要ですし、研究に必要不可欠です。また、客観的に考えようとすることは、俯瞰的視点を維持する補助になります。一方で、いわゆる「論理的」思考、「客観的」思考が俯瞰的視点を妨げることがあります。野口整体において集中と集注の文字を使い分けることとも関連があるのではないでしょうか。