資料館

ここでは、体運動習性研究所の研究成果を一部公開していく。

学術論文による内容公開が数的には利益が多い。

一方で学術論文に要求される「客観性という概念に対する摺合せ」

によって失われる情報にも実質的利益が多く含まれる。

そこで、当ホームページでの公開を優先することにした。


今日の学術論文は査読というシステムによって内容の質を担保しているが弊害もある。

例えば音楽というものを研究しようとすれば、

完全な客観性というものが得られないところに本質があるから、

本質に迫るほどに論文には採録されにくい内容になる。


音楽や絵画において、その作家の手法や様式を分析し、

たとえ完璧な再現性を得るパターン化に成功したとしても、、

実際にはどんなに一致した技法で製作してもピカソやバッハにはならない。

それは手法や技法だけが音楽や絵画を作っているわけではなく、

それを聞く側、見る側との相互関係が音楽なり絵画を生み出しているからである。


有の有用は無の有用を持ってなすということで、

有るものだけを扱って、有るという用を生み出すことは出来ないのである。

見えるものだけ、測れるものだけの能力や生産力だけでは、

見つけられないその奥にある「無」の有用性を見出せなければ、

すべての生命に基づく創造性の何たるかに近づくことは出来ない。

実証科学の限界がそこにあり、

現代社会が抱えている問題の元凶である固定的二元論を示唆している。

この「有」と「無」の中庸、「動」と「静」の間を目指しているといえる。


よって、資料館におけるデータというのはあくまで地図に過ぎないのであり、

各個人が地図を読んだだけでは不十分であり、実際に目的地を目指して旅に

出る必要がある。この地図は人によって目的地が変わる。

目的地は自己の要求であり、自分自身だ。


このように書くと、なにか宗教的なことに聞こえるかもしれないが、

そうではない。むしろすべての人に共通する「生きる」という行為に

真摯に取り組む方法を説いている。


地図を使って旅をする体験すべてが大事なのであり、

頭で理解した部分的知識はむしろ弊害となる。

そのためには個人指導など、直接的指導が有効であることは言うまでもない。