音楽演奏時無意動作
音楽とは何か?モーツァルトの言うように
それは我々が生きることそのものである。
我々自身が、内的要求の現象化であり
この現象化のプロセスを擬似的に体験することが音楽であるからだ。
大事なのは、「生きること」の方向性というものが
人によって異なることであり,それを明らかにすることが
我々が目指しているところでもある。
この内的要求の実現回路たる「偏り」,
それこそが「私」が存在している理由であり、
それを知ることは「自分自身」を知ることなのである。
この偏りの現象化には様々なレベルが有るが、
ここでは無為動作に注目している。
それ以前の現象化では微細すぎると考えるためである。
整体協会では基本動作を用いた体量配分の測定が行われたが,
本質的な体運動習性や体癖は無意識的動作にこそ表れる。
歌を歌ってみればわかるが,自分が音楽に入り込むほど
無意識的な裡から動きがわきおこる。
「このような動作にこそ本質的体運動習性が表れるのではないか?」
これが音楽演奏時無意動作研究の動機である。