第三回

作曲家の体癖

Jean-Philippe Rameau

ラモーは一見して憂いに満ちてますから、6種が主体でしょうね。憂いとリズムが特徴ですね。

音の消え入る方に集中してるとこからも分かります。霧の中に消えてく様なところがあります。

感情でなく憂いで、確かに考えながら進んでく感じもありますから、上下も持っている。

Sylvius Leopold Weiss

ヴァイスは、前後6種が活きていてその後2百年後の大衆音楽にも通じる哀切と躍動感とほのかな明るさがあります文節に区切る手法を見つけ出し呼吸の切れ目の「間」と同ものを初めて向こそこで現代人が聴いても、飽きないし、文節に区切る手法を見つけ出していて呼吸の切れ目の「間」と同じリズムというものを、体の中から見つけ出している。初めて向こうがにいったん消えるとい「間」の感覚を掴みだした人そこで現代人が聴いても、飽きな心地よい、肖像画は開8みたいな顔してますが、リュートを選んだという所があまり積み重ねられない不得手の部分リズムを生み出す楽器として活かしたといえます。 積み重なって絡み合って伸びていいうより、流れていく、流れながら変異しながら、、という感じです.


Henry Purcell


パーセルはたしかに左右要素が多く出てます、が抑圧された感じもあり、

出しきれず2種に逃げ込んでるのか、、6種っぽい憂いは、寂しさの感じであり、4

種の憂いで左右のバランスが良い時は、旋律で泳が回るみたいな感じ出て、モーツァルトに通じるところもある.


Heinrich Schütz

シュッツは、器楽曲は形式的であまり香りがないのですが声を使う声楽曲は他の追随を許さ

精神性も情緒のほの明るさも持っていて、左右か捻れかが上手く融合して活きている感じです。

基本にあるのは上下で、2で.しょうか


Georg Friedrich Händel

ヘンデルは器楽曲の楽しげな勇壮な曲は明るさに満ちてます

独奏のソナタとかになると途端に弱気が見えて、精神の脆弱

さが出てくる、、これは5種だけど開が強くなると

不安定となり、6種に変換してしまうからかなと。

独奏曲をふっと生み出す時は6種的かなと。

けれどたいてい依頼に応じて作ってるので、5種の時に作った独奏は

まったく面白みがない、味気ないというか、、。

けれど上下があるので、どんどん積み重ねていきたい。

上に上に積み重ねていく。6種もどきなので、人気ヒトケがない

と、途端に大人しく影に怯えるてきます。


John Dowland

ダウランドは、様式性と感情の抑圧がイギリスの風土と感覚によって、

生み出された、という感じがよく出ています。

スヴェリンクより感情的なものに集注しています。

スヴェリンクは感傷的で、物語性を出すことができます。

ダウランドも上下がありますが二種的な

懐疑と感情への集注があり、それが崩れると

開6種のようなロマンティックなものに

流れていきます。